自由は土佐の山間より出ず
竜馬のふるさと高知
高知城天守閣は四角の箱を三段に組み上げそれぞれを二階とした建て方で
三層六階の天守閣です。
本丸御殿や東西多門櫓などを含む本丸部分が
完全な形でのこされているのも全国にその例をみない
貴重な遺構です。
追手門と天守閣が一枚の写真に収まる城であることで有名です。
高知に立志社を創立して自由民権論を唱えた。
東海道を遊説の途上4/6岐阜中教院で
暴漢に刺された。
血にそまりながら叫んだ言葉はいつしか
"板垣死すとも自由は死せず"の 名文句となり
怒涛のごとく全国に伝承され自由を求めて戦う
人々を大いに勇気づけた。
寺田寅彦跡地と居室
寺田寅彦は明治11年(1878)に東京で生まれ
明治14年(1881)高知市に移り江の口小学校、
県立尋常中学校、熊本第5高等学校、
東大物理学科で学び同41年(1908)に
理学博士になる。
寺田物理学ともいうべき世界を作り上げ
その門下生は各方面にわたり
最高権威の学者を数多く輩出させた。
文学の面でも吉村冬彦のペンネームで
沢山の随筆、評論、俳句を発表し
趣味も広く絵画を描き楽器をたしなんだ。
江戸時代から300年以上も続く日曜市は高知の街路市の中でも
ひときわ賑やかです。
高知城の追手門から約1.3Km、早朝から約500軒の露店がならび
新鮮な地元とれの食材から、地場産品、日用品まで
さまざまな品物が売られています。
高知市民の生活の一部になっており毎週日曜日には多くの人が訪れます